Kalo Asmi Loka-ksaya-krit Pravardho, Lokan Samartum iha Pravattah

聞いたことありますか?
Kalo Asmi Loka-ksaya-krit Pravardho, Lokan Samartum iha Pravattah

これはヒンズー教の聖典の一節で、日本語では「我は死なり、世界の破壊者なり。」と訳されます。

どんな有名人がこれを言ったと思いますか?ロバート・オッペンハイマー。

oppenheimer's aria :: ryuichi sakamoto最初の核兵器を開発した第二次世界大戦のプロジェクト、マンハッタン計画を主導した物理学者です。

彼はたまに「原爆の父」と呼ばれることもありますが、「Kalo Asmi Loka-ksaya-krit Pravardho, Lokan Samartum iha Pravattah」という彼が引用した言葉を聞いて以来、私はいったい彼が「原爆の父」という肩書を誇りに思ったかどうか疑問に思っています。

。。。ここでやっと原爆についてお話しすることにします。

何か破壊的なものを生み出すために科学者へ資産を提供する時、たとえそれが原爆のような世界初のものであっても、多くの人々が飛び上がって喜ぶわけではありません。

ロバート・オッペンハイマーの原爆に対する行動とコメントは、まったく矛盾したものでした。
正しいことだったのだろか?必要悪だったのだろうか?オッペンハイマーが公にした声明からは、彼が何を考えていたのかはっきりとわかりませんが、1945年7月16日、アラモゴルド近くで行われた最初の核爆発実験の後、オッペンハイマーの考えは明らかでした。「我は死なり、世界の破壊者なり。」

オッペンハイマーは1945年7月16日に周囲の人たちがどう思ったかについても述べています。「世界中がみなそれぞれ違う意見を持つであろうことはわかっていた。笑う者もいれば、泣く者もいた。そして多くの者は黙り込んでいた。」

オッペンハイマーは1965年のインタビューでも当時のことを語っています。彼の顔に喜びの様子はありません。

世界初の出来事を見届けたことに喜びがないのです。インタビューで彼は目をこすっているように見えますが、私は、彼は泣いていたのだろうか、とさえ感じます。

このことを、ハンス・キーステッドの声と顔に表れる真の喜びと比較してみましょう。彼は自分の発表があまりにもうれしくて、カメラ前で歓喜の思いを叫ぶまいと必死で努力している様子がわかるほどです。

ハンス・キーステッドについて読んで、彼の顔に表れる純粋な喜びが何なのかを見て下さい。ところで、ハンス・キーステッドって、いったい誰なんでしょう?何をした人でしょう?何がそんなに喜ばしいのでしょう?まずはYouTubeを見てください

(幹細胞と何か関係があるんだろうとお気づきでしょうね。)彼の発表を見た後で、20年後にこの出来事を思い出しながら受けるインタビューで「目をこすっている彼」を想像することは難しいでしょう。彼はこの出来事を20年間どのように覚えているでしょうか?

オッペンハイマー自身の言葉を引用するかもしれません。

「世界中がみな違う意見を持つであろうことはわかっていた。笑う者もいれば、泣く者もいた。そして多くの者は黙り込んでいた。」でも彼はそこで止めるでしょう。彼は、自分自身を「世界の破壊者なり。」とは呼ばないでしょう。


違いがわかりますよね。


幹細胞と原爆の違い。


この2つ、ともに世界初のもの。でも、それらを可能にした人間の反応が全く異なる2つのものです。 

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