ちょっとぐらい変人になっても誰も死にませんよ


From 03 July 2011 StemCells&AtomBombs: Being a little nuts never killed no one


先日、私は建築家の方に眉をひそめさせてしまいました。話が終わった時、彼は私の事をすこしおかしな人間だと思ったようです。
建築家?そうです。
ファイル:Senbayashi.jpg
千林商店街
約一年間あれこれ悩んだ結果、私は自身の第二の故郷である大阪のマイホームに留まることを決めたのです。大阪は素晴らしい場所です。もしそうでなければ、私もそこに過去17年間住み続けることはなかったでしょう。私は大阪の千林付近に住んでいて、あらゆるものが手の届く範囲内にあります。飲み物も食べ物、すぐに手に入ります。地下鉄が五分で行ける位置にあり、15分もあれば電車に乗れます。雨が降っている時でもアーケード付きの商店街(右の写真参照)を通れば、濡れることもありません。
私の家のどこが素晴らしいかというと理由は単純で、まずそれが私自身の家であることと密集市街地の真ん中にあるわりには家の中も外も広々としていることです。比較的広い私道(他人の車に邪魔されない)があり、家の後ろ側にはある程度スペースもあります(これはこの辺では珍しいです)。私はそのスペースでトマトやピーマンを育てたり、日曜大工をしたりしていました。暑い大阪の夏には、家に帰るなり裏に回って、冷たいビールを開けてトマトの成長を見たり、何時間も木にサンドペーパーをかけたりしたものです。私の家の唯一の問題は、それが三階建で風呂が三階にあることで、どうするか考える必要がありました。

私が麻痺になった後にはいくつかの選択肢がありました。1つはこの家を売り(麻痺になった当時はまだその家を建ててから約1年半しかたっていませんでした。)、完全なバリアフリーの二階建ての家を建てることでした。ただそれは麻痺前提の人生への準備をするようなやり方だったので、私はその選択肢は選びませんでした。

他には、土地が安く、私の故郷でもあるオンタリオ州のウッドストックに戻り、車椅子使用者にも完全バリアフリーのバンガローを建てるという選択肢がありました。自分の家族や友人の近くに戻り住みたいという願望はありましたが、この選択肢も車椅子前提の人生への準備であることには変わりありませんでした。そのため、私はこの選択肢も却下しました。

そこで、私は自分の家を少し改築するという選択肢を取りました。家の裏のスペースに増築することを決めたのです。そこに寝室(ベッドを他人の視界に入らない場所に置けるように)、大きなトイレ、そしてシャワーエリアを作ります。これによって、一階は完全に生活可能な空間になります。

マイホーム露天風呂
私が却下した他の選択肢も建築家の方が眉をひそめるようなものでした。私が玄関のドアを開けることができるようにセメントの傾斜を作ることについて話していました(今は車椅子用椅子を設置していて、玄関のドアとは別の引き戸を使うようになっています。)。私は建築家に私がまた歩けるようになった時にセメントの傾斜をどうすると思うか尋ねてみました。リフトなら撤去すれば良いだけですが、セメントとなると話は別です。歩けるようになればハンマーでその傾斜を粉々に砕くことはできるでしょうが、それはとても骨の折れる作業です。

20,0000かかる二階までの車椅子リフトについても話しましたが、なぜ私が全人生を車椅子で過ごすための準備をしようと思うのか尋ねると、また建築家の方は眉をひそめました。

セメントの傾斜と車椅子リフトの話ではなく、私が最後にした質問で建築家の方は変人を相手にしていると確信したようです。私は彼が傾斜とリフトについて話しているところを遮って一番重要な質問をしました。私は彼に、将来新たに増築した部分から屋根を取って、露天風呂を作るのはどれぐらい難しいか訊きました。彼はなぜそんなことをするのか尋ね返してきたので、私は歩けるようになったら増築した寝室は必要なくなるのでそこを露天風呂にできれば素敵だろうと答えました。

彼は私がまた歩けるようになる可能性について懐疑的でしたが、普通とは違い、彼は二度と歩けないと考えるのではなく、また歩ける可能性はある(常軌を逸してはいるが)と考えてくれたようです。

今では私のこと変人だと思っていない人はわずかしかいません。その内の二人は私の息子たちです。彼らは私がまた歩けるようになったらまず初めに何をするのか聞いてきます。すると、私は家にある椅子を全部三階に持って行って、それをセメントの私道に落とし、その椅子が壊れるのを見て狂人のように笑うつもりだよと答えます。

彼らは眉をひそめることも、私を変人だと言うこともありません。彼らはただ1つ質問をしてくるだけです。「パパ、椅子がなくなっちゃったらどうやって宿題すればいいの?」

私はこう答えます「立ってやりなさい。もっと足の長い机を作ってあげるから。」

Translator: Ichinomiya Wataru

「創造的不適応の進歩のための国際団体」


From 24 April 2011 StemCells&AtomBombs: "The International Association for the Advancement of Creative Maladjustment"


労働組合員であり、社会主義者の私にとって、以下に挙げるマーティン・ルーサー・クング牧師の言葉は常に心に響きます。
私は決して自分自身を分離と差別に適応するつもりはありません。私は宗教的偏見に適応された人間になるつもりは決してありません。私は決して必需品を多くの人から取り上げ、贅沢品を少数に差し出すような経済的状況へと自身を適合させるような人間になるつもりはありません。私は決して軍事主義の狂気や身体的暴力による自己敗北へ自身を適応させるつもりはありません。」- Martin Luther King

さて、新米対麻痺となった今、次の言葉が更に心に響きます。

これを長いこと聞いた後、投稿した二つのブログ投稿を思い出しました。


一つは、脊髄損傷グループセラピーでの私とカウンセラーとの想像上の会話です。

カウンセラー:貴方が人生で多くを受け入れないと、一生適応できませんよ
デニス:私は、この社会に適応することに興味はありません。そうするくらいなら、治癒のために戦いたいです。別に治癒が欲しいだけじゃないんです。なぜなら絶対可能だと思うからです。
カウンセラー:貴方を友人として言うけれど、そうなると貴方は不適応でグループで不合格を取ることになるわ。

もう一つは、ある友人からのブログ投稿です。彼は「脊髄損傷をしてから社会に溶け込めなくなった人の一例」というレッテルを貼られたのです。つまり、彼も不適応と言われたのです。

動物研究や医薬試験などで麻痺治癒に素晴らしい成果がでている2011年の現代、人々が未だに身体麻痺に自身を適応させなくてはならないというのは正しい事なのでしょうか?実際のところ、適応させなくてはいけないという考え方は、治癒の進展を止めていると思います。

これまで、この研究のために携わったり、バリアフリーの環境作りや雇用の面で努力してくれた人々の貢献には本当に感謝しています。しかしながら2011年の現在でも、麻痺は自分自身を適応させなくてはいけないものなどという概念を持ち続けていたら、治癒は遠のくだけです。

素晴らしい人生を椅子で転がる「幸せなローラー」のイメージは神話です。

車椅子で大成しているビジネスマンやキャリアウーマンの影には、無数の車椅子の失業者が存在します。2002年の調査によると、アメリカにおける脊髄損傷者の63%が失業者という実態があります。こういうわけで、私は決して自分自身を適応させたいと思いません。

車椅子で自立して生活している幸せな人々の影には、数多くの自殺もあります。脊髄損傷のコミュニティにおける自殺率は、健常者のそれより5倍高いと言われています。これも私は絶対に適応したくありません。

車椅子によって長期生活をしている人々の中には、脊髄損傷の起因による合併症で若くして命を落とす人が数千人もいます。2009年の研究によると、未だ脊髄損傷を持たない人々よりも寿命は若干短いといわれています。私は他の人よりも短い寿命に自分を合わせるつもりはありません。

車椅子でコミュニティに最大限関わり楽しんでいる人の影には、数え切れない人数の車椅子の人が、貧困、痛みを理由にまたはスロープ設置は無意味だと言って家に閉じこもる人がいます。これに対しても、私は決して合わせるつもりはありません。

治癒への希望をあきらめる事を拒否する事は、証拠が示すように、不適応というレッテルを張られる事になります。そういう事であれば、私も不適応であると認めますし、「創造的不適応の進展のための国際協会」の警鐘に敬意を表します。

Translator: Kawazu Kazuyo

リック・ハンセン(Rick Hansen) 基金の新しいCEOに質問を送ってください

最近、最も大きく、世界的に見ても最も資金に恵まれている脊髄損傷(SCI)関連団体によるSCIへの取り組みに関して、多くの議論が交わされています。その団体というのは、リック・ハンセン基金(Rick Hansen Foundation - RHF)とそこから派生したリック・ハンセン研究所(Rick Hansen Institute - RHI)International Collaboration on Repair DiscoveriesICORD)です。

なぜ異なる方針とスタッフを有する団体が三つも必要なのかは分かりませんが、それは今回の記事とは関係ありません。

基本的にRHFは、生活の質に関するプロジェクト、SCI患者のケアあるいはSCIの治癒に関するトランスレーショナル・リサーチの三つの分野で資金援助を行っています。これが議論の論点となっています。

治癒を実現する科学水準が手の届く範囲まで来ており(世界の臨床試験のリストを参照してください: 3ページ)、より早く治癒を実現するためRHFのような規模の大きな組織はもっと資金を使い、より大きな影響を与えていくべきだと主張する人は多い。RHFSCIの治癒の実現を彼らの目標の1つとして掲げているため、なおのことです。彼らは明確に「脊髄損傷後の麻痺がない世界」を目標として宣言しています。

はっきり申し上げて、私もRHFは治癒の実現に向けてもっと積極的に行動すべきであると考えています。理由は以下の通りです。

RHIが出資している最近の科学的研究のリストICORD研究者および研究のリストを見ても、中枢神経系(CNS)の再生はそれほど注目されているようには見えません。

批判の前に、RHFが集めた資金はどのように分配されているのか、もっと具体的に言えば我々を椅子から解放するCNS再生のためにいくら使われているのかという点に関してもっと情報を集めたいと思います。

そこで、皆様にはRHFの新しいCEOであるArt Reitmayer様に(以下のフォームを使用して)メールを送っていただきたいと思います。そのメールで、彼の就任とRick Hansen様の Man in Motion World Tour25周年を祝い、「RHFは何%の予算を麻痺の治癒に対して直接使用しているのか?」という具体的な質問をしていただきたいと思います。

あなたがカナダ人でなくても問題ありません。Rick HansenSCIに対する意識向上のために世界を周っていて、世界中のどの国からでも同組織に寄付することが可能です。もし回答が得られ、十分な資金が麻痺の治癒に使用されていると納得できれば、私も寄付をしたいと思います。

このキャンペーンは終了したので、パートIIをお待ちください。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

私の大事な質問でお答えください。

宛先: Art Reitmayer様(Rick Hansen Foundation (RHF) CEO

Cc.
Rick Hansen様、Lyall Knott様(RHF理事会共同議長)
Jim Watson様(RHF理事会書記)
George Gaffney様(RHF理事会会計担当)

RHF理事会
Matthew Bosrock
Sally Douglas

Perry Goldsmith

Amanda Hansen

Jonathan Kallner

Tod Leiweke

Sue Paish

Peter Ufford

Christine Day

Bill BarrableRick Hansen Institute CEO
Tom Oxland博士(ICORD暫定理事)

麻痺の治癒に向けたRickの素晴らしい取り組みが25周年を迎えるにあたり、この度のRick Hansen FoundationCEOへの就任を心よりお祝い申し上げます。もし25年前、Rickが麻痺の治癒は実現できると考えていたのであれば、RHFは最近の科学の進歩を鑑みればその治癒の実現は必然であると認識すべきです。

脊髄損傷(SCI)に関わる者として、私はこのような重要な時点において新たなCEOが誕生したことによって、RHFは麻痺への取り組みをより加速させることができると信じています。誰もが認識しているように、治癒はただ希望のみによって実現できるものではなく、その実現には大変な努力と根気、そして科学の助けを必要とします。

しかし、私にはRHFが脊髄損傷の治癒の追求における目標を見失っているように見えます。私がそのように考える根拠は、Rick Hansen InstituteICORD(おもにRHFによって設立および出資されている)のウェブサイトに投稿された情報にあります。その情報を見る限り、どちらの団体においても中枢神経系(CNS)再生は最重要事項として挙げられていません。

そこで、RHFCNS再生およびSCIの治癒のためにどの程度の予算を割いているのかを教えていただきたいと思います。

ケアや生活の質に関連する活動もSCIを抱える人たちのためには重要であることは分かります。しかし、手の届く範囲にある治癒も同様に重要であり、実際のところそれこそがまさにケア/生活の質の究極の形ではないでしょうか。

長文で失礼いたしました。お忙しいとは思いますが、近い内にお返事がいただければ幸いです。

Translator: Ichinomiya Wataru