日本の生産管理を使ってSCI治療に一役


From 27 March 2011 StemCells&AtomBombs: Seisan Kanri from Japan to help cure SCI


このところの人々の関心は、先ごろ日本を襲った危機的大地震ですが、今日は日本が直面する問題ではなく、脊髄損傷(SCI)治癒への日本発信のポジティブな事をお話しましょう。

昨年、研究面において興味深い発見についての発表がいくつかありました。まず最初は、奈良先端科学技術大学院大学からのレポートで、神経幹細胞を使ったSCIの動物実験に成功した事です。また慶応大学からは、iPS細胞人工多能性幹細胞を使ってサルを歩かせる事に成功したとても確信あるレポートです。

最近、東北大学(ここは震災で被害のあったエリアです)の出澤真理教授のある情報を読みました。教授の研究とは、脊髄細胞からの神経を再プログラムする事で、将来的に下部の脊髄損傷の治癒に使える可能性があると言われています。そして、私の家の近くにある大阪医科大学では、脊髄損傷治癒にOE細胞(OEG細胞)を使った臨床試験があるかもしれないという噂を聞きました。

でも、SCI治癒に関連することではありますが、今日私が焦点を当てたい内容はこれらではありません。

SCIコミュニティの人々は、私も含めて、少なからずこの研究に疑問を持っているのだと私は思います。私達からすれば、研究は継続してもらう必要があります、しかし、変換的作業(臨床試験を通じて、科学をSCI患者に繋げていく事)なしの研究では意味がありません。

私はSCIコミュニティで沢山の人々と一緒に活動しており、頻繁に変換的作業を伴うこの問題や解決策について話し合うことがあります。私達はまた他国の世界的財団などで、多額の寄付金を集めSCI治癒の必要性を啓蒙しているグループなどについても話しますが、こういったグループから臨床実験への発展などの情報は見られません。私達一般のSCI者が、このようなグループに対しどのようにして私達のメッセージを伝えたらいいのでしょうか。

先日、治癒へと戦う私の同朋の一人から電子メイルを頂きました。私の労組活動を知っている彼のメイルはこう書いてありました。
私達にはここで交渉する事など何もありません。労働が保留にできるからといって私達がSCIを保留にする事はできません。」

これを読んで、私は左に書いてある言葉を思い出しました。ローマ字読みではセイサンカンリ英語では、プロダクション・コントロールと言います。これが日本の戦後のとても悲惨な状況の中で、日本の労働組合が対応してきた事です。

日本は最悪な状況から自身を引き上げる歴史を持っています。日本が他の困難を乗り越えたように、今後この地震から立派に復興できると私は確信しています。この震災で受けた被害は、第二次大戦によってこうむった被害と少なからず比較されています。そして戦後悲惨な状況から日本を引き上げた出来事の一つは、労働組合の存在です。

戦前、かつて日本政府の軍事的重圧を受けていた労働組合は、この政権が敗北したとたんどこからともなく現れ、機能し始めました。しかし、彼らは私の友達が電子メイルに書いていた事と全く同様の問題に直面しました。職場を持つ資本によってストライキが起こる業界で、工場や職場が開いてもいない時どうやってストライキができるでしょうか?
その上、雇用者はこの多くの人が職さえも持っていない状況の中、ストライキを回避するためにいつ職場閉鎖をちらつかせるのでしょうか?わかりますか、彼らは交渉するものすらもなかったのです。

こういった状況の中、日本人労働者は「生産管理」または「プロダクション・コントロール」という新しいタイプのストライキを導入しました。彼らはアメリカがその10年前にやっていたような、座り込みで工場を占拠するようなことはしませんでした。彼らは上司を追い出し、自分たちで操業したのです。彼らの交渉力は、こういうところから来ています「工場と利益を取り戻したかったら、私たちの要求を呑みなさい」

これが20万人の日本人労働者が、194512月から最高裁によって非合法化(きっとあまりにもうまくいったからでしょう)される1946年秋までの間にやってきたことです。この手法が成功した後、労働者達は昔やっていた通りには戻りませんでした。雇用と解雇上経営協議会と組合の拒否権での労働から、対等な参加権を付与する条項を含む労働協定の8割がこの闘争の中(そしてさらに古典的なストライキで)で獲得しました。

現在、SCIコミュニティの私たちが必要なのは、どのようにしてこのとても重要な教訓を私たちの戦いに当てはめていくかと考えることです。どうしたら私たちはサイドラインでの治癒への戦いから、彼らが治癒のために本当に活動できるようにメインストリームの組織へとシフトしていくことができるでしょうか。へりくだるのではなく、もっと声を出して力強く行きましょう。治癒の「生産」を管理するために。

もし、戦時中の荒廃した国で、組合活動のために刑務所に入った新鮮な記憶がありながら労働者が勝ち取ったなら、私たちにだってできるはずです。これは脊髄損傷治癒を勝ち取るための日本からの新しい貢献です。

Translator: Kawazu Kazuyo

マンハッタン・アポロ計画が麻痺を治す時



From 08 May 2011 StemCells&AtomBombs: Time for a Manhattan/Apollo Project to cure paralysis




「私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、
安全に地球に帰還させるという目標
の達成に我が国の国民が取り組むべき
であると考えている。この時代の宇宙長
距離探査の分野で、人類にとってこれ以
上に素晴らしく、これ以上に重要な宇宙
計画はないだろう。またこれ以上に
遂行が困難で費用のかかる計画もないだろ う。」
ジョン・F・ケネディ大統領 1961525
10年以内に人類を月面に到達させるというケネディの宣言から50年を迎えるに当たって、私は少し前からこの記事を書くことを考えていました。初めはケネディが宣言を行った525日に記事を書こうかと思っていたのですが、つい最近私が所属しているあるフォーラムで良い質問があったので、当ブログでその質問に回答することにしました。

端的に言って、その質問は「あなたはいつ麻痺を治癒するつもりですか?」というものでした。

これは良い質問です。というのも、私はここ5年から10年の間に麻痺の治癒は実現可能だと考えているからです。ただし、それは私一人でやるのではなく、私たちが力を合わせてい実現させる必要があります。

1961年にジョン・F・ケネディは、アメリカは10年以内に月面に人類を立たせると宣言し、善し悪しは別として1969年に人類は月面に立ちました。


フランクリン・デラーノ・ルーズベルトは原子爆弾を作ることを決意し、数年後には広島と長崎を恐怖のどん底に陥れました。

ルーズベルトやケネディは科学者だったのか?違います。彼らは科学が将来的に為すものを宣言した指導者です。彼らは机に向かい科学を研究したわけではなく(決してそのようにすべきではないと言っているのではない)、彼らは科学の為しうるものを国家的な重要事項に仕立て、科学者にその実現を一任したのです。私は決してそのような目標を達成するための科学的試みが元々無かったと言うつもりはありませんが、影響力を持つ世界的指導者がそのような計画を支援しなければ、その実現を見ることはなかったでしょう。

指導者は科学者を結束させ、期限を課し、仕事には報酬を惜しみなく出し、必要とする資源を全て与えました。

彼らは、利益や栄光を目的に独立した仕事をさせるため民間企業や大学に資金提供したわけではありません。ルーズベルトは唯一の科学者であったEszilardが特許に関して文句を言ってきた際、彼を解雇し、彼が特許を妥当な価格で売るまでチームに戻さないという対応を取りました。銃を男の頭に突きつけ、「断ることができない申し出」への答えを求めるドン・コルレオーネを想像してもらえば良いでしょう。

ルーズベルトは資金や認知を得るため、オッペンハイマーを原子力で駆動する車椅子で世界を周らせはしませんでした。ケネディもアポロ計画の宇宙船に必要な資金を集めるために、同計画の科学者にロケットのコスチュームを着せて投資家や資金提供者に向けて歌やダンスを披露させるようなことはありませんでした。ルーズベルトとケネディが行ったことは、資金を気にしつつ、科学者に納期を意識させた上で協力して重要な仕事を完遂させることです。

もちろん否定論者もいたし、科学者でさえそんなことは不可能だと言っていた人もいましたが、実際に実現しました。それが実現されたのは指導者が宣言したからです。

現段階における麻痺治癒の科学的研究のレベルは、マンハッタン計画およびアポロ計画始動以前の同計画に関連する研究のレベルよりは遥かに高い水準にあります。

現在の脊髄再生を専門とする科学者には、脊髄損傷の治癒は「実現可能かどうか」ではなく「いつ実現できるか」という問題だと明確に述べている人もいます。

そのため、私は麻痺の治癒が実現する「時」はそれが国家的(国際的)重要事項となってから5年から10年の内だと考えています。

それが国家的重要事項となるかどうかは、私、あなた、そして麻痺の治癒を望む人たちにかかっています。

最初にそれをやるのがどの国かはどうでも良く、とにかくこの問題には国際的見地から取り組むのが肝要です。

みなさんがどのようなものが脊髄損傷による麻痺の治癒の障害となっているかを知りたいので、以下の短いアンケートにお答えいただければ幸いです。


Tranlsator: Ichinomiya Wataru